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ざっと見て、私はやっぱり
主ゼミ→日本書道史
副ゼミ→篆刻
になりそうです。
篆刻での問題は、私、篆書が全く書けないってことなんですけどね☆
誰があんな文字書けるか。左右対称シンメトリー文字。
私が見られる程度に書ける書体っつったら、楷書と行書くらいだよ。
漢字かな交じりゼミも悩みましたが、篆刻は今しかできないだろうしなあ。
…というか、卒業後に書を書くことって、多分無い。
現状、考えている卒論テーマは2~3あるのですが、どうなんだろう。
書道学と民俗学、絡めて研究したいなあ。
でもどうなんだろうなあ。教授に怒られるかなあ。
ダメだったら、愛しの田能村竹田の書に走ります。
主ゼミは日本書道史と心に決めていましたが、
副ゼミはまだどうだかわからん。
でもきっと、篆刻をちゃんと学べるのって、今だけなんだろうなあ。
そう考えると篆刻がいいなあ…。
曾爺さんには悪いけど、仮名は取りません。私の仮名はどろどろの血液でしかない。
この時期になると、皆大抵ゼミの話をします。
書道学科に来たからには、皆書作に進むようですが、
私が「私は書学を主ゼミにするよ」と言うと「ええ!?すごいね!」と言われることがほとんど。
よく言われるのが「書学は論文いっぱい書かなきゃいけないし、勉強ばかりで大変」ですが…。
私からすれば、書作行く君らの方がすげーよ。って気持ちです。
だって、書作ですよ書作。上手い人が生きていける世界じゃないですか。
才能の無い私には考えられない。
筆持って文字を書くことは好きですが、私は書作に進むと潰れるだろうと思います。下手だもの。
現状、私は書制作というのがサッパリわからなくなっています。
近現代日本書道史を学んで、余計そういうカオスな状況に落ち込んだ。
何が素晴らしく上手い書なのか、どれが自意識過剰な書なのか。
度を超えたものはわかりますが、そうでないものはサッパリわからない。
私は上手い書を書けるのかと言えばそうではなく、
かといって、自意識過剰な書は絶対にしたくない。
ある種、書に対して恐れを抱いている状況です。
そんな状況で書作なんて、できっこない。
果たしてどこまでが書で、どこまでが書ではないのか。
その判断がつきません。わかりません。怖いです。
そもそもが下手なんですけどね。
書道学科で一番下手という自信がある!
その点、書学は良いじゃないですか。
要は覚えれば良いんだし、その中で気になったことっていっぱいあるから、それを自分で調べたりすれば新たな発見があったりして面白い。
もっといっぱい知りたい、もっといっぱい調べたい!
そんな気持ちを、欲望を満たせるのは、やっぱり書学なんじゃないか。
あれもこれも見てみたくて、うずうずする気持ちがあります。
自分で興味関心をもって、それを調べるのはとても楽しいです。
って言ったら「学者肌」あるいは「研究者肌」と言われるわけなんですが、
そういうものではなくて、単純に自分の趣味ですよね。
民俗学とからめて考えたいとか言ってる辺り。
「天狗の印」「狐と狸の書」なんてロマンあると思うよ。
狐は書をよくし、狸は画をよくした。という話は非常に面白いと(ry
もちろん彼等が現実にそういうことをするわけではないと思いますので、
では実際は誰が書いたのか?そこにどんな書法が潜んでいるのか?と考えると以下略。
それだけでも楽しいですよ。
書作は怖くてできません。
ほんと、書作ができる人はすごいと思う。
主ゼミ→日本書道史
副ゼミ→篆刻
になりそうです。
篆刻での問題は、私、篆書が全く書けないってことなんですけどね☆
誰があんな文字書けるか。左右対称シンメトリー文字。
私が見られる程度に書ける書体っつったら、楷書と行書くらいだよ。
漢字かな交じりゼミも悩みましたが、篆刻は今しかできないだろうしなあ。
…というか、卒業後に書を書くことって、多分無い。
現状、考えている卒論テーマは2~3あるのですが、どうなんだろう。
書道学と民俗学、絡めて研究したいなあ。
でもどうなんだろうなあ。教授に怒られるかなあ。
ダメだったら、愛しの田能村竹田の書に走ります。
主ゼミは日本書道史と心に決めていましたが、
副ゼミはまだどうだかわからん。
でもきっと、篆刻をちゃんと学べるのって、今だけなんだろうなあ。
そう考えると篆刻がいいなあ…。
曾爺さんには悪いけど、仮名は取りません。私の仮名はどろどろの血液でしかない。
この時期になると、皆大抵ゼミの話をします。
書道学科に来たからには、皆書作に進むようですが、
私が「私は書学を主ゼミにするよ」と言うと「ええ!?すごいね!」と言われることがほとんど。
よく言われるのが「書学は論文いっぱい書かなきゃいけないし、勉強ばかりで大変」ですが…。
私からすれば、書作行く君らの方がすげーよ。って気持ちです。
だって、書作ですよ書作。上手い人が生きていける世界じゃないですか。
才能の無い私には考えられない。
筆持って文字を書くことは好きですが、私は書作に進むと潰れるだろうと思います。下手だもの。
現状、私は書制作というのがサッパリわからなくなっています。
近現代日本書道史を学んで、余計そういうカオスな状況に落ち込んだ。
何が素晴らしく上手い書なのか、どれが自意識過剰な書なのか。
度を超えたものはわかりますが、そうでないものはサッパリわからない。
私は上手い書を書けるのかと言えばそうではなく、
かといって、自意識過剰な書は絶対にしたくない。
ある種、書に対して恐れを抱いている状況です。
そんな状況で書作なんて、できっこない。
果たしてどこまでが書で、どこまでが書ではないのか。
その判断がつきません。わかりません。怖いです。
そもそもが下手なんですけどね。
書道学科で一番下手という自信がある!
その点、書学は良いじゃないですか。
要は覚えれば良いんだし、その中で気になったことっていっぱいあるから、それを自分で調べたりすれば新たな発見があったりして面白い。
もっといっぱい知りたい、もっといっぱい調べたい!
そんな気持ちを、欲望を満たせるのは、やっぱり書学なんじゃないか。
あれもこれも見てみたくて、うずうずする気持ちがあります。
自分で興味関心をもって、それを調べるのはとても楽しいです。
って言ったら「学者肌」あるいは「研究者肌」と言われるわけなんですが、
そういうものではなくて、単純に自分の趣味ですよね。
民俗学とからめて考えたいとか言ってる辺り。
「天狗の印」「狐と狸の書」なんてロマンあると思うよ。
狐は書をよくし、狸は画をよくした。という話は非常に面白いと(ry
もちろん彼等が現実にそういうことをするわけではないと思いますので、
では実際は誰が書いたのか?そこにどんな書法が潜んでいるのか?と考えると以下略。
それだけでも楽しいですよ。
書作は怖くてできません。
ほんと、書作ができる人はすごいと思う。
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