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mixiにも同じ文を投稿していますが、
書道の独り言なのでこっちにも置いておきます。
こうやって独り言をためていって、もう少し学んだ時に見返して、
この時の考えこの時の感動を思い出しては、笑ったり恥じたりしたいのです。
今日は近現代日本書道史集中講義でした。
小山正太郎という洋画家が「書って美術じゃねーじゃん?!」って話をしてました(逆にドツボにはまるような話だった)。
明治の本なので当然その当時の書き言葉(濁点が無い、旧字体など)なのを、先生が翻訳してくれた。
その翻訳は私の手によって
あたし
小山正太郎
洋画家(油絵画家)
みたいな
書が
美術とか
まじ
戯言っていうか
という風に書き換えられました。
これを読んだ友人が「小山さんきっとこういう風に言ってたよ!」って言ってましたが、小山さん男ですから。
小山さんおねえ言葉で喋ってないと思うから。
おねえ言葉はさて置いて、この話はかなり面白いなあと思います。
実際、書って「美術なの?」「文学なの?」ってよく言われる。
現在分類としては、書は古美術だそうですね。
書店なんかで書道の本を探すと、確かに美術方面で置いてある場合と文学で置いてある場合と二つのパターンに分かれるという。
大抵美術にありますけどね。
他にも私の大好きな文人の話だったり…ああ、前半は特に近現代日本書道史っていうか近現代日本(書道)史ってかんじだった!
とても面白くて、授業中「もっともっと!色んな話を!!」って気持ちでいました。
特に書画会(幕末・明治辺りで料亭などで行われた会。書や絵、漢詩を即興で制作して売る会と思えば大体合ってるはず)のくだりがワクワクしました。
今、書というと家で書家が「あーでもないこーでもない」と頭を捻って考えて書くってイメージがありますが(わかんねーよって方は学校や手習いのお習字を思い浮かべて下さいな)、書画会はその場でババーンと書いちゃう。
その場で先生が書いて、それを持って帰るってところに書画会の粋があるんですね。
歪んでてもおかしなとこがあっても“書画会の空気”を持って帰って、その時を思い出してはため息を吐く。
なんてロマン溢れる話なのでしょう!
これまでの書は、言ってしまえば御家流だの型にはまった書、そこに宿る美が求められていた気がします。
それはあまり民衆の目に触れることが無かったかもしれません。
明治のこの書画会はそこをある程度加味しつつ、しかし的は貴族といった上流階級の人々ではなくて、民衆だったんだなあと思います。
明治時代に評価された人々が農村出身の人々だったように。
“民衆”の時代である明治時代という背景が、書にも大きな影響を与えていたのだなあ。
そこに集う書家はとても個性的。
あと皆お髭たっぷり。
男かと思ったら女って人も居るっていうね!もう明治何でもありだな!(何でもってこたあねえと思うが)
私が今注目しているのは江戸中期から後期の文人書画(頼山陽・田能村竹田を中心に)なのですが、
こことも通じる話がいっぱいあって、中国趣味や煎茶の話も出てキャッホイ!でした。
ああ、個人的とは言え調べていて…良かった!
急激に西洋を取り入れて日本人が四苦八苦するのもかわいいね!これは書の話じゃなくて美術史っぽい話だけどね!
以上、大学二年生の感想なので、あんまりアテにしないで下さい!間違ってるところも多くあるかと思います。
「あ、そうなの?フーン」程度に通り過ぎておいて下さい。間違っても人に喋っちゃ嫌ですよ。喋る機会あるか知らんが。
もうね、楽しくて仕方がない。
民俗学を学ぶ時のような、あの高揚感。胸の高鳴りを感じます。
通うの辛いけどな…!!(血涙
帰宅後倒れていたので、今から荷造りします。ちょっとだけしてあるけどー。
ああ、明日はもっと遠い…。でも楽しみだ…!
日本書道史楽しすぎる。
中国書道史も楽しいけど、日本書道史はとにかく楽しそうなのが良い。
私の中では
日本書道史→萌える・燃える・楽しそう
中国書道史→燃える
わかり易く言えばこんなかんじ。
日本書道史の萌えは、しつこいくらいですが田能村竹田ですね。
「ショウランコジズ」(漢字出すの面倒くさい)のくだりや「亦復一楽帖」のくだりは絶対に萌える。思い出すだけで萌える。
中国書道史最大の燃えは顔真卿ですよね、やっぱり。
日本ではよく「二君に仕えず」ってありますが、顔真卿はそれを全うした人だと思います。字にもよくそれが感じられる!
書道の独り言なのでこっちにも置いておきます。
こうやって独り言をためていって、もう少し学んだ時に見返して、
この時の考えこの時の感動を思い出しては、笑ったり恥じたりしたいのです。
今日は近現代日本書道史集中講義でした。
小山正太郎という洋画家が「書って美術じゃねーじゃん?!」って話をしてました(逆にドツボにはまるような話だった)。
明治の本なので当然その当時の書き言葉(濁点が無い、旧字体など)なのを、先生が翻訳してくれた。
その翻訳は私の手によって
あたし
小山正太郎
洋画家(油絵画家)
みたいな
書が
美術とか
まじ
戯言っていうか
という風に書き換えられました。
これを読んだ友人が「小山さんきっとこういう風に言ってたよ!」って言ってましたが、小山さん男ですから。
小山さんおねえ言葉で喋ってないと思うから。
おねえ言葉はさて置いて、この話はかなり面白いなあと思います。
実際、書って「美術なの?」「文学なの?」ってよく言われる。
現在分類としては、書は古美術だそうですね。
書店なんかで書道の本を探すと、確かに美術方面で置いてある場合と文学で置いてある場合と二つのパターンに分かれるという。
大抵美術にありますけどね。
他にも私の大好きな文人の話だったり…ああ、前半は特に近現代日本書道史っていうか近現代日本(書道)史ってかんじだった!
とても面白くて、授業中「もっともっと!色んな話を!!」って気持ちでいました。
特に書画会(幕末・明治辺りで料亭などで行われた会。書や絵、漢詩を即興で制作して売る会と思えば大体合ってるはず)のくだりがワクワクしました。
今、書というと家で書家が「あーでもないこーでもない」と頭を捻って考えて書くってイメージがありますが(わかんねーよって方は学校や手習いのお習字を思い浮かべて下さいな)、書画会はその場でババーンと書いちゃう。
その場で先生が書いて、それを持って帰るってところに書画会の粋があるんですね。
歪んでてもおかしなとこがあっても“書画会の空気”を持って帰って、その時を思い出してはため息を吐く。
なんてロマン溢れる話なのでしょう!
これまでの書は、言ってしまえば御家流だの型にはまった書、そこに宿る美が求められていた気がします。
それはあまり民衆の目に触れることが無かったかもしれません。
明治のこの書画会はそこをある程度加味しつつ、しかし的は貴族といった上流階級の人々ではなくて、民衆だったんだなあと思います。
明治時代に評価された人々が農村出身の人々だったように。
“民衆”の時代である明治時代という背景が、書にも大きな影響を与えていたのだなあ。
そこに集う書家はとても個性的。
あと皆お髭たっぷり。
男かと思ったら女って人も居るっていうね!もう明治何でもありだな!(何でもってこたあねえと思うが)
私が今注目しているのは江戸中期から後期の文人書画(頼山陽・田能村竹田を中心に)なのですが、
こことも通じる話がいっぱいあって、中国趣味や煎茶の話も出てキャッホイ!でした。
ああ、個人的とは言え調べていて…良かった!
急激に西洋を取り入れて日本人が四苦八苦するのもかわいいね!これは書の話じゃなくて美術史っぽい話だけどね!
以上、大学二年生の感想なので、あんまりアテにしないで下さい!間違ってるところも多くあるかと思います。
「あ、そうなの?フーン」程度に通り過ぎておいて下さい。間違っても人に喋っちゃ嫌ですよ。喋る機会あるか知らんが。
もうね、楽しくて仕方がない。
民俗学を学ぶ時のような、あの高揚感。胸の高鳴りを感じます。
通うの辛いけどな…!!(血涙
帰宅後倒れていたので、今から荷造りします。ちょっとだけしてあるけどー。
ああ、明日はもっと遠い…。でも楽しみだ…!
日本書道史楽しすぎる。
中国書道史も楽しいけど、日本書道史はとにかく楽しそうなのが良い。
私の中では
日本書道史→萌える・燃える・楽しそう
中国書道史→燃える
わかり易く言えばこんなかんじ。
日本書道史の萌えは、しつこいくらいですが田能村竹田ですね。
「ショウランコジズ」(漢字出すの面倒くさい)のくだりや「亦復一楽帖」のくだりは絶対に萌える。思い出すだけで萌える。
中国書道史最大の燃えは顔真卿ですよね、やっぱり。
日本ではよく「二君に仕えず」ってありますが、顔真卿はそれを全うした人だと思います。字にもよくそれが感じられる!
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