心の殺陣記 江戸時代中期~末期/文人の書・僧侶の書 忍者ブログ
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個人研究だから、発表が2分くらいしか時間もらえなかった。
もったいないなーと思ったので、覚書程度にここへ。
mixiにも同じやつのっけてますが、ブログの方が実は覚書は探し易い。

書き易さはmixi。探し易さはブログ。


別にレポートでもなんでもないもんだから、砕けた内容なんですけれども。
書学の話なので興味のある方のみ続きをどうぞー。
っつっても、オカタイようにゃ書いてないです。
知らない人にもわかり易く書いた…つもり。



最初、私がこの研究課題に飛び付いたのは“文人”があったからでして。
正直僧侶はどうでも良かったんですよね。
一休の書は割と好きだったんですが、それだけで。


私が今回調べた人物は多数居ますが、その中でも代表として


*文人
市河寛斎(1749~1820)
亀田鵬斎(1752~1826)
田能村竹田(1777~1835)
頼山陽(1780~1832)
貫名海屋(1778~1863)

*僧侶
白隠(1685~1768)
寂厳(1701~1771)
慈雲(1718~1804)
仙厓(1750~1837)
良寛(1757~1831)


でした。

参考図版は若書きのものと最晩年のものをそれぞれ揃え、16点。
文人5名10点/僧侶5名6点 の割合で資料を集めています。


ところで僧侶はお坊さんなわけですが、文人ってなんやねんってかんじですよね。
文人の定義はちゃんとあるんですが、
書画をよくし詩(特にこの時代は漢詩が多い)を詠み、俗世間から離れた風流人が文人です。簡単に言えば。

俗世間から離れるってなんぞや?って感じですが、
例えば私が大好きな竹田さんは、それなりの名家だったけれども上のやり方にうんざりして、役職を辞して自由奔放に生きることにしました。
まあ隠居みたいなもので。そんな感じだと思えば良いと思うよ!


江戸時代中期からは中国趣味が盛んだったもんですから、文人の活動も活発でありました。まあ逆でもいいと思うけど。
中国趣味…南宋画・書・漢詩・煎茶などなど。多趣味だったんですね、彼等は。
また、横の繋がりも広かったので、文人同士が交流するサロンがあったりしました。


さてさて。


この文人の書というのは、確かに上手い!と思える人も居ます。
頼山陽なんかは蘇軾をベースに勉強していたもので、文字も蘇軾臭漂います。
しかし多くは、その出所に捕らわれない書きぶりでありまして、
竹田さんなんかは細く引っ掻いたような文字が特徴です。
市河寛斎は、幕末の三筆である市河米庵のおとっつぁんですが、彼はベイフツ・トウキショウ(変換面倒なのでこのままで)を学んだと考えられています。確かにそのような様子は見受けられるけども、もっと抑揚があって豪快な感じです。
幕末の三筆・貫名海屋も、豪快で「いやっほー!俺書くの大好きSA☆」って言わんばかりの字です。


ところがこれは、僧侶にも言えることでした。

先に私は「一休の書が割と好き」と書いていますが、彼の書は破天荒にガサッバサッとした書です。
技巧にこだわらない、見る人によっては鬱陶しい文字です。

とてもわかり易い例では

ttp://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B06&processId=00&event_id=1009&event_idx=1&dispdate=2004/11/06

これは慈雲の書です。もうガサッとしてるよね!好き勝手やってんじゃないかってくらいに。
僧侶って割とそうなんです。
中には「棒一本引いちゃった☆」ってだけのもあって、お前これをどう資料にしろって言うんだよって思ったりした。
仙厓はそれなりに大人しいですが、しかし彼の書もまたクセがあります。とにかく字が右下がり。
解説に「クセあるよこいつ」って書かれるくらいです。

僧侶の有名どころでは、やはり良寛でしょうか。
良寛さんって言うと、聞いたことあるんじゃないかなーって思います。


子どもと遊ぶのが好きで、礼儀正しい良寛さん。
ある日子どもとかくれんぼをしていたら、良寛さんは上手に隠れてしまい、日暮れまで誰も見つけられなかった。
子ども達は良寛さんを放っておいて家に帰るけど、良寛さんはずっと隠れ続けていて、彼を見つけた村人が

村人A:「何してるんですか、そこで!

良寛:「静かに!かくれんぼしてるから、大声出しちゃいかんよ!


って言ったっつー話があります。

そんな良寛さんの書は、なんか紙面に塩コンブ糸ミミズか撒き散らしたんじゃねーのって書です。
唐の書家・懐素や、日本の『秋萩帖』を学んだんじゃないか?と言われていますが、まあ確かにそれっぽいけど、しかし塩コンブ。
食べれば淡泊薄味っぽそうな字をしています。非常に独特な字だと言えるでしょう。


文人も僧侶も、どちらも俗世間から捕らわれない位置に居る人々です。
きっとその共通点が、書にもあらわれているのではないかと、私は推察しています。

また、文人と僧侶には些か交流があったようで。

亀田鵬斎は良寛と交流し、感銘を受け、それが書にも影響を及ぼしたという話があります。
寂厳は「日本の美術-文人の書」に文人として登場していたり。
実は色んな共通点があるんじゃないかな、と私はみています。



どうでもいいけど

この時代の風潮か知らんが、皆「杜甫/『飲中八仙歌』」を書きすぎ。
ざっと調べただけでも4~5は出てきたぞ。
平安時代の『白楽天詩巻』かっつーの。



以上、覚書でした。

個人だから大分視野が狭いのが難点なんだよなあ…。
こうやって見ると課題点が多いのがわかる。
抜けとかツッコミ所が満載だと思うんだけども、学生の調べごとって思って許してね!





資料(推定込・年代順)

寂厳『飲中八仙歌』
白隠『墨跡』
慈雲『松竹梅』
市河寛斎『七言絶句』
〃『客意 七言絶句』
頼山陽『書状』
良寛『月の兎帖』
亀田鵬斎『飲中八仙歌屏風』
〃『春醸二字』
良寛『草庵雪夜作』
田能村竹田『亦復一楽帖』
頼山陽『喀血歌』
仙厓『自画像賛』(自画像に対する賞賛を、仙厓が書いたということ)
田能村竹田『七言絶句』
貫名海屋『草書七言絶句/五言律詩幅』
〃『題富士升龍図』

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