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最初はちょっとした体調記録。
今日は絵作業おやすみして、寝てました。
いわゆるサボりだね!
へへへ、正直レポートやべえ!寝てたけど。
あと700~800字と、別枠で感想文も書かなくては。あーあーきこえなーい。
とはいえ、寝ないと何にもなりません。
ここ二日ろくすっぽ寝てなかった気がしたので、帰って来てから昼寝です。
早く寝ても必ず3~4時間で一度目が覚めるため、睡眠の質が悪いんですね。分眠型の父の血だろうか。
久々に授業中に船こいでやべえと思った。
どんだけ寝てなくても、リポD飲んでれば平気だと思ってたんだけどな。
左肩がいよいよハッスルしてきました。
高校の頃から痺れと冷感と痛みのあった左肩なのですが、年々悪化しているようで。先日もそういった日記を書いたばかりでしたが…。
今朝からずっと痺れが取れず、それに伴ってズッキンズッキン痛い。
唇を噛んで誤魔化すしかなくて、集中もできない。
リュックサックを右肩に掛けてスカしたヤローになってました。
左肩痺れるし痛いんだもの(めそめそ
しかし明日は荷物重いんだよなー。実技中心+中国語があるから。
ぎぎぎビリビリする。
以下、書道系の話。
今日は絵作業おやすみして、寝てました。
いわゆるサボりだね!
へへへ、正直レポートやべえ!寝てたけど。
あと700~800字と、別枠で感想文も書かなくては。あーあーきこえなーい。
とはいえ、寝ないと何にもなりません。
ここ二日ろくすっぽ寝てなかった気がしたので、帰って来てから昼寝です。
早く寝ても必ず3~4時間で一度目が覚めるため、睡眠の質が悪いんですね。分眠型の父の血だろうか。
久々に授業中に船こいでやべえと思った。
どんだけ寝てなくても、リポD飲んでれば平気だと思ってたんだけどな。
左肩がいよいよハッスルしてきました。
高校の頃から痺れと冷感と痛みのあった左肩なのですが、年々悪化しているようで。先日もそういった日記を書いたばかりでしたが…。
今朝からずっと痺れが取れず、それに伴ってズッキンズッキン痛い。
唇を噛んで誤魔化すしかなくて、集中もできない。
リュックサックを右肩に掛けてスカしたヤローになってました。
左肩痺れるし痛いんだもの(めそめそ
しかし明日は荷物重いんだよなー。実技中心+中国語があるから。
ぎぎぎビリビリする。
以下、書道系の話。
今日はグループ研究の中間発表がありました。
私が研究しているものは私一人で、個人研究なんですがね。
こんなに素敵なのに…文人の書と僧侶の書。
難点を言えば、僧侶なんて特に、皆自由奔放な字をしていて「何時代の字っぽい」とか「誰の字を学んだ」って言えないことなんですが。
…棒一本引いたものとか、どうしろってんだ!見なかったことにしたけど。
文人なんてものすごい数が多いので、江戸中期~後期に主に活躍した文人5~6人に絞り、有名な作品・晩年の作品を主体に見ていっています。
…って壇上では言ったけど、嘘です。
実際は5~6人しか見る余裕が無いだけです。
晩年の書は、私が好きなだけだよ。
最晩年の話をすれば
山陽の「喀血歌」を見れば、鬼気迫って、なんて悲しいんだろうと思う。
竹田の「七言絶句」を見れば、なんて儚くて、先に亡くなっていった友たちへの想いの詰まった書なんてろうと思う。
どちらも悲しいんですよね。
上の二人に限った話ではないですが、自分の死を悟った人や自分の生きてきた人生を振り返る書は、すごく切ない。
「こういうエピソードがある」という付与があるからかもしれませんが、
それを知らずしても悲しさや寂しさは感じ取れて、後の無い崖の淵に立ったような気持ちになる。
それがどうしようもなく(以下略
これに関しては一晩中語れる自信がある!アホだ!
ていうか個人研究はあんまり喋らせてくれなかったよー。
「何してるかわかればいい」って言われたけど、もうちょっと考えてたよー。
まあ、喋る内容が減るのはありがたいですが。前に出るの嫌い。
で、レポート。
「日野切」の発見時期について聞こうと思って研究所行って、ふと『書道全集』見たら、藤原俊成の項目に「日野切」あるじゃない。
旧字体満載の本なので、古い年代でもあったのかなーと思ったら…。
あれこれ1954年の本?
じゃあ何で昭和52年(1970年代くらい?)の本には載ってないんだろ。
単純に載せてないのだろうか。
「昭和切」も晩年期のものとして注目する古筆だとは思うけど、
「日野切」が取り上げられてないのはおかしいな。
つまらない疑問点だろうか。
教授と話をしてきました。
どうも教授の話しぶりを聞いていると…やっぱり「日野切」が発見されたのは、比較的新しい年代ではないようなかんじ。
もちろん“切”(断簡のこと。茶室の掛け軸にするため、巻物や本がバラバラに切られることはよくあります。でもそのお陰で現存しているものも多いです)だから、『平安かなの美』に掲載されているような新出品もある。
うーーん。
と思っていたら、教授一言。
教授:「古いものはわからないことが多いんだから、わからないものはわからないって書けばいいよ」
私:「そうですか…わかりました!」
教授:「なに?T先生の授業のやつ?」
私:「そうなんですよーあはは」
教授:「逆に“教授はどう思いますか?”って書いてみたら?」
私:「怖いですそれは」
恐ろしいことを言わんで下さい。教授の腹黒!でも大好き!
出来の悪い学生だなあと自分で思った。
どうでもいいけど、書道学科はおじさま好きホイホイです。
私が研究しているものは私一人で、個人研究なんですがね。
こんなに素敵なのに…文人の書と僧侶の書。
難点を言えば、僧侶なんて特に、皆自由奔放な字をしていて「何時代の字っぽい」とか「誰の字を学んだ」って言えないことなんですが。
…棒一本引いたものとか、どうしろってんだ!見なかったことにしたけど。
文人なんてものすごい数が多いので、江戸中期~後期に主に活躍した文人5~6人に絞り、有名な作品・晩年の作品を主体に見ていっています。
…って壇上では言ったけど、嘘です。
実際は5~6人しか見る余裕が無いだけです。
晩年の書は、私が好きなだけだよ。
最晩年の話をすれば
山陽の「喀血歌」を見れば、鬼気迫って、なんて悲しいんだろうと思う。
竹田の「七言絶句」を見れば、なんて儚くて、先に亡くなっていった友たちへの想いの詰まった書なんてろうと思う。
どちらも悲しいんですよね。
上の二人に限った話ではないですが、自分の死を悟った人や自分の生きてきた人生を振り返る書は、すごく切ない。
「こういうエピソードがある」という付与があるからかもしれませんが、
それを知らずしても悲しさや寂しさは感じ取れて、後の無い崖の淵に立ったような気持ちになる。
それがどうしようもなく(以下略
これに関しては一晩中語れる自信がある!アホだ!
ていうか個人研究はあんまり喋らせてくれなかったよー。
「何してるかわかればいい」って言われたけど、もうちょっと考えてたよー。
まあ、喋る内容が減るのはありがたいですが。前に出るの嫌い。
で、レポート。
「日野切」の発見時期について聞こうと思って研究所行って、ふと『書道全集』見たら、藤原俊成の項目に「日野切」あるじゃない。
旧字体満載の本なので、古い年代でもあったのかなーと思ったら…。
あれこれ1954年の本?
じゃあ何で昭和52年(1970年代くらい?)の本には載ってないんだろ。
単純に載せてないのだろうか。
「昭和切」も晩年期のものとして注目する古筆だとは思うけど、
「日野切」が取り上げられてないのはおかしいな。
つまらない疑問点だろうか。
教授と話をしてきました。
どうも教授の話しぶりを聞いていると…やっぱり「日野切」が発見されたのは、比較的新しい年代ではないようなかんじ。
もちろん“切”(断簡のこと。茶室の掛け軸にするため、巻物や本がバラバラに切られることはよくあります。でもそのお陰で現存しているものも多いです)だから、『平安かなの美』に掲載されているような新出品もある。
うーーん。
と思っていたら、教授一言。
教授:「古いものはわからないことが多いんだから、わからないものはわからないって書けばいいよ」
私:「そうですか…わかりました!」
教授:「なに?T先生の授業のやつ?」
私:「そうなんですよーあはは」
教授:「逆に“教授はどう思いますか?”って書いてみたら?」
私:「怖いですそれは」
恐ろしいことを言わんで下さい。教授の腹黒!でも大好き!
出来の悪い学生だなあと自分で思った。
どうでもいいけど、書道学科はおじさま好きホイホイです。
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