心の殺陣記 家庭の事情 忍者ブログ
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長かったですが、色々と精算の時が来たように思えました。
あわただしく時が過ぎていく気がします。
寂しくもありますが、嬉しくもあります。


姉の正式な異動が決まりました。
予定の異動よりも随分早くなって、あと僅かしかここに居られないというのは、寂しいです。
が、ニューオープンの初期店員として働くそうなので、良いことかなあと。


姉と、お互い昔のアルバムを見ました。
姉の中学卒業写真は犯罪者のような顔をしていました。
私の小学卒業写真は世の中に不満を持っている子どもの顔をしていました。

うわーひでーと笑った。
いやほんとにひどいんだって。目つきわっるう!!ってくらい。
しかし問題なのは、顔が今と変わりないってことだ…。



中学校の頃、不登校だった私に届けられた寄せ書きの色紙を、初めて見ました。
もらっても怖くて見れなくて、正直見るだけで気が狂いそうだった色紙と、初めて向き合えた。
名前もよくわからない彼らには申し訳無いのですが、色紙は捨てることにしました。
持っていても仕方が無いので。
別に、戒めでもなんでもないしなあ。

中学校三年の自分はちゃんと笑っていて、安心した。
私が自分と立ち向かおうと決めた頃だったなあ。
怖いけど中学校の敷地に足を踏み入れて、先生と喋った。
授業にも卒業式にも出なかったけど、自分にとっては大きな前進だったと思う。

今でも、常に自分と立ち向かって生きていますが、
それでも辛いことは多いし、自己嫌悪も激しい。自己嫌悪する自分に自己嫌悪という悪循環も成り立っている。
昔のことをスッパリ断ち切れたかと言えば、そういうわけでもない。
人が刃物を持つことは、実はまだちょっと、怖い。
いまだに人と喋ることは苦手だ。

課題は多い。
でも、別に全部やんなきゃいけないってことはない。
100%良い部分の人間なんて居ないし、もしかしたらその100%の良い部分は、別角度から見れば50%の良い部分と50%の悪い部分かもしれない。
それは個人の尺度の違い。
自分が納得できるような自分になれたら、素敵じゃない。


いつか、嫌だったことも笑い話にできる。
小・中学校の頃のことを、笑えるようになったように。


多分もう、家族皆で笑ってテレビ観るなんてこと、無いんだろうなあ。
考えてみれば20年なんてあっという間だったよ。
これからは人の波にもまれて、もっと早く時間が流れて行ってしまうんだろうと思う。
とても怖いことだけれども、時間ばかりはどうしようもない。
私は私にできることを精一杯やっていく。
それが自分にとっても周りにとっても、一番良いことだと思う。

あくまで私個人の考え。




節目節目で考えちゃうんだよ、こういうこと。








現在は、

目下の悩みに関しては、
事が上手く運んでくれるなら、他はどうだって良い。

上手く運んでくれそうです。やったね。
一応これは他人の不幸を喜ぶことになるのですが、
私は、家族と友人以外はどうでもいいです。
その代わり、家族と友人に関しては、必死になる。どうでも良くなんてない。

あとは、1年間でどうなるか。
それと死なないことを祈るくらい。


姉は他人に頼るのを遠慮しがちですが、頼られて嬉しい人も居る。
それでも遠慮しちゃうなら、距離を置くんじゃなくて、

1.たまにはお礼をする
2.電話などは時間制限を設ける
3.相手の話も聞く


1、3は既にやってそうですが、2案は喜ばれました。

遠慮して距離を置かれて何かあるのが、一番辛いです。

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