心の殺陣記 一日一題 2 忍者ブログ
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- サクラ -

俺は桜の木の下に立っていた。
今、自分がどんな顔をしているかはよくわからない。
視界は霞む。きっと気を緩めれば、地面に雨が降るだろう。

もうイイ年しておいて、そんな気弱になる男は情けないだろうか?
…そんな気持ちになるのも、無理は無いんだ。



あれは、丁度今の季節だったなあ。


俺の勤めている会社は小規模な会社だ。
社長と社員が近くにあって、人間関係は濃いけれども、楽しくてやりがいのある会社だと思っている。
そんな会社に、ある日突然、若い女性が入社した。なんでも、社長の誘いで入社したんだそうだ。


『初めまして、佐々木と申します』


女性らしい、柔らかさを含んだ声。けれども凛とした気を含む声。
新品のスーツに身を包み、お辞儀はキッチリ45度。
それだけ見たら、ただの礼儀正しい女性だなーってくらいしにか思わなかったろうな。


だけど、佐々木さん。

顔を上げてにっこりと笑ったんだ。




パッと、花が咲いたようだった。


ヒマワリやバラのように、大輪だとか華美な花ってわけじゃあない。
もっと小さくて可憐で………そう、例えるならば、サクラの花だ。

春の匂いに誘われて、冬の眠りから覚める花。
木に可愛らしい姿を咲かせて、うららかな日差しをその身に受けて。
時には、ひらひらくるくる、宙に遊ぶ。


そんな笑顔に、俺は見惚れてしまったんだ。まさに一目惚れってヤツだった。




けれど、知っているよな。
サクラの花って、咲いたらすぐに散ってしまう。





俺が好きになった佐々木さんも、そりゃあ儚い命だったよ。









『はい、私も…です』

いつだったか、彼女の病室で。好きです―――。そう伝えたら、頬を赤く染めた彼女。

佐々木さんは生まれつき体が弱かった。
小さい頃には通院を余儀なくされて、やっと社会に出られたと思ったら、あっという間に倒れてしまった。
…と社長から聞いたが、実際はそうではないらしい。
俺が彼女に想いを伝えて、その真実を知らされた。

“やっと社会に出られた”というのは嘘だった。
本当は残りわずかな命、一度は経験してみたかった会社というものを、体験させてやろうという社長の計らいだったんだそうだ。

俺は最初、頭に来たね。
そんな無茶しなけりゃ、佐々木さんはもっと長く生きられただろう!って。
怒る俺を見て、佐々木さんはただ微笑んでいた。

『社長は、素敵な方ですよ』と。

――― その一言で、俺は顔が真っ赤になった。
告白された佐々木さんのような、“照れる”という赤さではない。
佐々木さんのことを考えて口に出した言葉は、その実、自分本位になっていて…そう、“恥ずかしさ”だった。


俺は佐々木さんの病室に、毎日通った。
会社が終わればすぐに向かって、彼女と短い時を共に過ごした。
それはもしかしたら、佐々木さんの短い命を削っていたのかもしれない。
でも、彼女は毎日『明日も、来てくれますか?』と、願った。
そんなこと言われたら、来ないわけにはいかないだろ。
佐々木さんの“明日”を、俺が迎えてやらなくてどうするんだよ。

と言っても、正直辛かった。
会社終わって直行、そのまま面会時間終わるまで俺、そこに居たんだ。


だけど、それでも、佐々木さんと一緒に居たかった。


ある種の強迫観念だったかもしれない。
俺が足を運ばなかったら、佐々木さんは死んじゃうんじゃないかって。
俺一人が彼女の命をどうこうするなんて、そんな話は無いんだけどさ。
足を運ばなかった日に、佐々木さんが亡くなったら――― って、怖かったんだ。

まあ、それ以上に、俺は佐々木さんのことが好きだった。


好きなんだよ。
好きなんだ。
この気持ちを「愛してる」って言葉に変えたら、佐々木さんは耳まで真っ赤に染めていたっけ。
俺はそんな彼女を、優しく、けれど離さないように、抱き締めた。




なのに





一昨年の春、サクラが散りゆく頃。
佐々木さんと俺の“明日”は無くなった。



まだ、20代後半。なのに、もう目を開けない彼女。
開けた窓から舞い込んできた小さな花弁が、ひらりと白い頬に落ちた。

まるで、彼女の頬に、紅を差すように。









桜の咲く頃。

ほんの些細な時に思い出す。
彼女の仕草、言葉、笑顔。


ぎゅう、と胸が痛くなる。
息が苦しくて視界が霞んで、目に映るのは現実じゃなくて。

もし彼女が生きていたならば、一緒に並んで、笑って桜を眺めていただろう。





けれども、もう泣きはしない。



俺は肩に落ちた花弁をそっとつまみ、宙へ遊ばせた。

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