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mixiのものと大体一緒です。
木曜日の3・4限は「用具用材加工演習」を希望していたのですが、抽選に見事落ちました。
予知夢を見ていたのですが、バッチリ大当たりです。
というわけで、初木曜授業。
1限はなし。
2限目…「漢字仮名交じり書法2」
女性の先生で、とても優しそうな印象がありました。
「自由で、“自分らしさ”が表現できる創作を目指す。ただし、勝手な表現にはならないようにする」というのが、なんか嬉しい。
私は毎度毎度「学者先生のような文字」と言われ、まあ恐らく“堅苦しい”文字や表現しかできないんだろうけど。
創作?無理無理無理無理カタツムリ状態になっています。
自分らしい表現って、なかなか難しくて、
西川寧先生だったか今井凌雪先生だったか、あるいはどちらもだったか忘れましたが、
『臨書は基本で、それを固めるのは無論大切であり大前提の話である。
しかし、ここから倣書→創作となると、創作でなかなか自己表現が上手くいかず、殻に閉じ籠る生徒は多い』
というようなことが書いてあり、いたく共感した覚えがあります。
あ、上の文は私の要約ですよ。
確かに私は、臨書はある程度できても、発想力も表現力も無くて創作が一切できない。
慣れていないというのも、もちろんあるのですが、なんだかなあっていっつも考えてました。
この授業で、少しでも前に進めたらと思います。楽しみ!
3限目…「書道生涯学習論」
「用具用材加工演習」の抽選漏れしたら、取ろうと思っていた授業。
調べてみたら、なんかこの講義はすごい先生の講義だった。
“萱原書房”というのがあるのですが、そこの社長さんです。
私は今日知りましたが『書道美術新聞』なるものがあり、それを発行しているのが“萱原書房”なんですね。
萱原晋、で検索をかけると、他にも色んなものが出てくる。
4/6に「書道学科の教授不要本・引退した教授の置いていった本」を無料配布していたのを貰いに行ったのですが、
その際に「これは一人一部は必ず持って行ってね」と言われて持って行った『大東書学』の4号だったか5号だったかに、萱原先生のお名前が出ています。
講義中「この学科創立時に、少し手を加えさせてもらった」と仰っていたので、恐らくご本人で間違いないかと思います。
まあ、“萱原”という苗字は割と珍しいと思うので、間違いは無いだろうと思っていましたが!
で、この講義。
受けてみて思いましたが、すごく面白いです!
いや、無論、用具用材加工には興味があったのですが、
なんというか、すごく考えの材料になるような講義でした。
「僕は書道が全くできません。書けません」
という言葉が、とても印象的だった。
分野としては、先生ご自身が「僕は西洋哲学が専攻でね」と仰っていたのですが、授業も哲学っぽいかんじでした。
「え、書道なのに哲学?」と思われるかもしれませんが、
書道学科の学友はご存じの通り、書道は書学だけでなく、史学・文学・美学・教育学・哲学に派生する学問です。書作とて同じ話です。
一年生で教わって、納得して感激した覚えのある話でした。
無論、他の学問も様々な横のつながりがあるのですが、書道も蚊帳の外って話じゃないのよ。
確か、昨年の夏に「近現代日本書道史」の集中講義を受けて以来だったか。
それまで眠っていた“書って何だ?”という考えが、ハッキリと目を覚まして。
“書って何よ?”と、私の中で漠然とした疑問がずっと渦巻いていました。
この漠然としていて、かつ大きな疑問に、ものすごく怖くなった。一時、筆を手に取ることすら、恐ろしくてならなかった。
で、今日のこの講義。
「僕は君達の中にある、“書道”という観念を、一度ぐちゃぐちゃにしてリセットしたい。書道バカにならないように」
と言われました。それがすごく嬉しかった。
頭の片隅で、ですが、大学に入ってから色んな書道に関する知識を詰め込まれて整理が上手くついてなくて、ひどい状況だったんじゃないかなあと思っていました。
なんというか、頭ですけれど肩こりみたいな。上手い表現を持っていませんが…。
この授業では、毎時、出席票の代わりにエッセイを書きます。
今回のテーマは『私の中の“書道”とは何か?』でした。難しいよ!!
難しいし、上で述べたように、私はまだ自分の中の“書道”がわからないから、正直に「わかりません」と書いた。
ただ、『書作としての書道』と『生涯としての書道』は、違う気がした。
そういうことを書いた。
強いて言えば、私にとっての“書道”は、現状、「とにかく面白くて楽しい!興味がある!だから追いかける!」というものだなあと、思うわけであります。
あ、肝心の内容ですが、基本的に先生の雑談です。
雑談の中で、自分が「この考えいいなあ」と思ったら、それを覚えておいてね的なお話をされました。
上でこんな言ってますが、私、次から寝そうだ。
幸い、先生がよく動くから起きていられるけど…。
というかんじでした。
いや、本当に「一学生が書いた感想」なので、あまりアテにはしないで下さい。
そう言えば、3限を一緒にとっているMちゃんに
「句外ちゃんは、大学院進学考えてるの?」と突然訊かれて、「うん、今のところはそう考えてるよ」と答えたら、
「うん、句外ちゃんには向いてると思うよ!大学院進まなかったら、宝の持ち腐れになっちゃうよ」と言われた。
よ、喜んでいいの、か…?宝の持ち腐れかどうかはわからないが、応援されるのはちょっと嬉しい。
書いたかどうかは覚えてませんが、進学は父に相談してみたら、
父:「いっそ教授になれ」
無茶な…。
『書道美術新聞』、定期購読したいなあ。
一部頂いたのですが、すごく面白いです。
木曜日の3・4限は「用具用材加工演習」を希望していたのですが、抽選に見事落ちました。
予知夢を見ていたのですが、バッチリ大当たりです。
というわけで、初木曜授業。
1限はなし。
2限目…「漢字仮名交じり書法2」
女性の先生で、とても優しそうな印象がありました。
「自由で、“自分らしさ”が表現できる創作を目指す。ただし、勝手な表現にはならないようにする」というのが、なんか嬉しい。
私は毎度毎度「学者先生のような文字」と言われ、まあ恐らく“堅苦しい”文字や表現しかできないんだろうけど。
創作?無理無理無理無理カタツムリ状態になっています。
自分らしい表現って、なかなか難しくて、
西川寧先生だったか今井凌雪先生だったか、あるいはどちらもだったか忘れましたが、
『臨書は基本で、それを固めるのは無論大切であり大前提の話である。
しかし、ここから倣書→創作となると、創作でなかなか自己表現が上手くいかず、殻に閉じ籠る生徒は多い』
というようなことが書いてあり、いたく共感した覚えがあります。
あ、上の文は私の要約ですよ。
確かに私は、臨書はある程度できても、発想力も表現力も無くて創作が一切できない。
慣れていないというのも、もちろんあるのですが、なんだかなあっていっつも考えてました。
この授業で、少しでも前に進めたらと思います。楽しみ!
3限目…「書道生涯学習論」
「用具用材加工演習」の抽選漏れしたら、取ろうと思っていた授業。
調べてみたら、なんかこの講義はすごい先生の講義だった。
“萱原書房”というのがあるのですが、そこの社長さんです。
私は今日知りましたが『書道美術新聞』なるものがあり、それを発行しているのが“萱原書房”なんですね。
萱原晋、で検索をかけると、他にも色んなものが出てくる。
4/6に「書道学科の教授不要本・引退した教授の置いていった本」を無料配布していたのを貰いに行ったのですが、
その際に「これは一人一部は必ず持って行ってね」と言われて持って行った『大東書学』の4号だったか5号だったかに、萱原先生のお名前が出ています。
講義中「この学科創立時に、少し手を加えさせてもらった」と仰っていたので、恐らくご本人で間違いないかと思います。
まあ、“萱原”という苗字は割と珍しいと思うので、間違いは無いだろうと思っていましたが!
で、この講義。
受けてみて思いましたが、すごく面白いです!
いや、無論、用具用材加工には興味があったのですが、
なんというか、すごく考えの材料になるような講義でした。
「僕は書道が全くできません。書けません」
という言葉が、とても印象的だった。
分野としては、先生ご自身が「僕は西洋哲学が専攻でね」と仰っていたのですが、授業も哲学っぽいかんじでした。
「え、書道なのに哲学?」と思われるかもしれませんが、
書道学科の学友はご存じの通り、書道は書学だけでなく、史学・文学・美学・教育学・哲学に派生する学問です。書作とて同じ話です。
一年生で教わって、納得して感激した覚えのある話でした。
無論、他の学問も様々な横のつながりがあるのですが、書道も蚊帳の外って話じゃないのよ。
確か、昨年の夏に「近現代日本書道史」の集中講義を受けて以来だったか。
それまで眠っていた“書って何だ?”という考えが、ハッキリと目を覚まして。
“書って何よ?”と、私の中で漠然とした疑問がずっと渦巻いていました。
この漠然としていて、かつ大きな疑問に、ものすごく怖くなった。一時、筆を手に取ることすら、恐ろしくてならなかった。
で、今日のこの講義。
「僕は君達の中にある、“書道”という観念を、一度ぐちゃぐちゃにしてリセットしたい。書道バカにならないように」
と言われました。それがすごく嬉しかった。
頭の片隅で、ですが、大学に入ってから色んな書道に関する知識を詰め込まれて整理が上手くついてなくて、ひどい状況だったんじゃないかなあと思っていました。
なんというか、頭ですけれど肩こりみたいな。上手い表現を持っていませんが…。
この授業では、毎時、出席票の代わりにエッセイを書きます。
今回のテーマは『私の中の“書道”とは何か?』でした。難しいよ!!
難しいし、上で述べたように、私はまだ自分の中の“書道”がわからないから、正直に「わかりません」と書いた。
ただ、『書作としての書道』と『生涯としての書道』は、違う気がした。
そういうことを書いた。
強いて言えば、私にとっての“書道”は、現状、「とにかく面白くて楽しい!興味がある!だから追いかける!」というものだなあと、思うわけであります。
あ、肝心の内容ですが、基本的に先生の雑談です。
雑談の中で、自分が「この考えいいなあ」と思ったら、それを覚えておいてね的なお話をされました。
上でこんな言ってますが、私、次から寝そうだ。
幸い、先生がよく動くから起きていられるけど…。
というかんじでした。
いや、本当に「一学生が書いた感想」なので、あまりアテにはしないで下さい。
そう言えば、3限を一緒にとっているMちゃんに
「句外ちゃんは、大学院進学考えてるの?」と突然訊かれて、「うん、今のところはそう考えてるよ」と答えたら、
「うん、句外ちゃんには向いてると思うよ!大学院進まなかったら、宝の持ち腐れになっちゃうよ」と言われた。
よ、喜んでいいの、か…?宝の持ち腐れかどうかはわからないが、応援されるのはちょっと嬉しい。
書いたかどうかは覚えてませんが、進学は父に相談してみたら、
父:「いっそ教授になれ」
無茶な…。
『書道美術新聞』、定期購読したいなあ。
一部頂いたのですが、すごく面白いです。
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